北麓の空や樹海や湖のほとりには確実にDubが流れている...。
レベル(反抗の)ミュージックとはなんであるか?と問われたら形にしたらレゲエミュージックこそ
その中でもこの世で抜きんでている音楽であるといえる。また、これほどまでにダイレクトに多様に人の感情を受け入れそこに届く音楽が他にあるだろうか?
その裏には決して富や名声なんかのためだけでなく、もっともっと普遍的な価値"生きるため"に
必要な重要なモノに関わっているとの自覚を自然に伴い、歌い手や演奏者は民衆の間にメディアとして存在しているのである。
そこをよく理解しているのは常にサファラー達であることを忘れてはならない。それを搾取し享受するのは支配者であるという皮肉を私たちは大いにに笑いたい。
だから今。そこに鳴っている音だけが音楽なのかといったらそうでないと答える。ことにしている。
音楽を形造るモノは実に様々で、包み隠さず言えば愛やそれ故の苦悩や喜び、
ファミリーアフェア含むドロドロやサウダージがそこに含まれている音楽に低俗な物はないといえる。
さらに言えばそこに命をかけたレベルミュージックが普遍的で無いはずがない。
北麓に流れるDUBミュージックは音がしない、そこには感情の抜き差しやふわりと浮かび繰り返される希望や邪念。
life is around and aroud...そうして、それでもこの"今"は流れ流れていくのである。
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